コドモエナジー株式会社 代表取締役 岩本泰典氏 企業訪問

日 時 平成31年2月5日13:30~15:00

訪問企業人 コドモエナジー株式会社 代表取締役 岩本 泰典氏

訪問者 田中祥宏理事長・赤松隆裕委員長・中井康之委員・谷戸利行委員・藤原悠貴委員・
・・・・事務局山本豊・

コドモエナジー株式会社 http://www.codomo-e.co.jp/

 

 

赤松委員長      趣旨説明(SKC概略と企業訪問について)

岩本氏履歴     1962年3月14日生まれ。

大阪市旭区で育ち高校卒業後18歳で仕事を始め、24歳で株式会社アルファユニットを設立。内装業から始まったビジネスを軸にTOTOや大阪ガスなどの大手企業の工事会社として国内外の著名ホテル客室のユニットバスやリフォームなどを手掛けた。そしてものづくりのサプライヤー向け品質管理代行・修正を行うスキームを確立。

「地球環境を壊さず次世代の子供たちの為、環境にやさしいモノづくり」をテーマに、2004年コドモエナジー株式会社設立。蓄熱式床暖房装置を開発販売する。

 

共同経営者の急逝に伴い2007年代表取締役に就任し、事業再構築をする方向で有田焼と出会い、そして、失敗と人との出会いから好転に向かい「ルナウェア」の商品化を手掛ける。2012年第4回ものづくり日本大賞内閣総理大臣賞受賞。

“被災地でものづくりを”と考え福島県双葉郡川内村を訪れ、元の生活を取り戻そうと必死に取り組んでいる地元の方々と共に歩むと決める。この地を災害に強い避難誘導標識「ルナウェア」の製造拠点にする事が、コドモエナジー株式会社の使命であると確信し、2014年川内村に工場を建設する。

 

続いて2016年11月村内に唯一のカフェ「CaféAmazon福島1号店」(タイ石油公社PTTがタイ国内外で2,009店舗運営するカフェの日本第一号店)を出店。現在も、被災地の復興支援に注力をする。

 

※「ルナウェア」とは有田焼400年の技術と蓄光機能を融合した世界初の磁器商材。
電気を使わない、災害やエコなど幅広い分野で活躍する新素材です。
電気を必要としない非常誘導灯として商品化されています。
コドモエナジー株式会社 http://www.codomo-e.co.jp/

 

御社の成り立ち、同業他社さんとの違いと強み→競合他社は存在するのか→その技術を使って新たな取り組み→スタッフの方々に気を遣われていること→今後の目標・事業展開など→若い世代に向けてのメッセージというインタビューの内容順にお話し頂きました。

岩本氏
【自分の原点】

青年会議所(以下JC)時代に理事を経験しておりまして、SKC船場経済倶楽部の名も聞いています。

JC6年間の中残り3年間を必死で行ったその中、理事選挙で1年目落選しました。その時の理事長が落選させたことを後悔させてやるという気持ちで翌年の選挙で残り2年間理事として務め、その際の繋がりが今でも素晴らしい仲間であります。

JCを卒業し毎日のようにJC理事として奔走していたのがポッカリ穴の開いたような生活となり他の会にも行ったが冷めた熱が再燃することがなく、元々の職業建築業(リッツカールトン大阪や阪急インターナショナルなども手掛けた)を生業としているが、大きな物件はやはり儲かったが、バブル崩壊などで低迷となり、その際に、今のようなリフォーム事業などの言葉もない時代、大手よりも先に、今でこそ当たり前のバスルーム全体をユニットとして施工するパッケージを生み出し大阪ガスと提携。簡単リフォームなど大阪ガスさんが行っているサービスの柱は、私ども行ったものです。当初はブルーオーシャンだったが、その後同様の事業を展開する企業が増え、レッドオーシャンになりました。

そんな時、自動車メーカーが不良品の部品の選別に苦労し、生産効率が下がっていることを知る。そこに商機があると思い、次の事業として自動車部品の選別事業を始めました。

一部品(エアバッグ一つでも)30~40社ほどの部品メーカーが関わっているなか、必要数しか発注しないメーカーにとって不良品の扱いがラインを止めることで生産効率を下げるため、その下請けとメーカーとの隙間で部品選別の事業を行いました。

他社との差別化のポイントは、請負企業では初めての時間フィーで請け負ったことでした。これが当たり、事業拡大につながった。

それがコドモエナジーではなくもう一つの会社、株式会社アルファユニットで、この会社は建築と選別作業の両建てで順調な利益を出しています。

【発想の展開・出会い】

そして、コドモエナジー株式会社が出来たきっかけは、建材系株式会社の営業部長さんと昔からの付き合いの中で、共同経営で何か新しい事業をしないかという話になり、建築屋の僕が言うのも変だが、今の建材は環境に配慮しているとは言えないので、環境に配慮したものを作る会社を作るとかなり大雑把な事業内容でしたが起業することになりました。

また、特に私の子供がアトピーだったのもその一因です。

そして、コドモエナジー株式会社は、東京都港区虎ノ門3丁目という映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の舞台にもなった場所からスタートさせました。

元々この会社は、上場ありきで作った会社で大手金融機関2社からの出資と自己資金で蓄熱式床暖房を開発し販売して順調に事業軌道に乗り始めました。

ところが、共同代表の元営業部長の友人が2期目の決算目に志半ばで他界。

【一度目の窮地】

その後、その会社を自分でしようと決めた矢先、通帳にはほとんどお金が残っていない状態で、尚且つ翌月に3500万円の支払いというとんでもないことになったのですが、全ての資材など売却し返済に充てた。それも糧に東京から大阪に移転させ再起を図りました。

【出会い・キッカケ・転機】

平成17年頃にたまたま九州の友人から有田焼の窯元が独自製法で蓄光顔料を絵付し焼き上げた製品を作っている職人を紹介されまして、私自身、陶器はTOTOの便器などしか触れたことはなく(笑)、工場も見学した程度であったのでそのまま名刺交換程度でその場は終え、その後、ダルビッシュ有氏のお父様からの依頼で息子のパーティーで、日本の焼物(お皿)をプレゼントしたいのでどなたか紹介してほしいと言われ、その際に食器メーカでは最大手の株式会社ノリタケを紹介したのだが、1ロット1万セットと言われたそうで、ダルビッシュ氏も目を丸くし再度別のところを紹介して知ってほしいということになり以前に名刺交換した有田焼の窯元を思い出し連絡を取って作らせることになったのです。

【ターニングポイント】

有田焼の窯元も東京進出したものの、その権利を商社に取られそうになったりし全く日の目がでず困っていたそうで、じゃあということで試作をさせたところ技術は一級品であるが、家内工業的な状態で、言えば自動車部品の選別作業からするとものすごく大雑把なところがあり、精密さには程遠い感じでしたね。

建築屋としては、一陶器製品でもいかに精密さを求められるかという世界からすれば、大したことないと思いつつも、週に一度は有田まで行き、研究など重ね徐々に商品価値も高めていきました。

また、競合他社として大塚オーミ陶業株式会社さんがあるのですが、東京都との契約と消防法などで定められている蓄光素材製品の出荷しているのですが、これがまた、光らない、耐久性もなくすぐ割れてしまうなど、大手ならではの感じとその他にも何社かあるのですが、これも若干ややこしい感じのする会社もあるんですが、どこの製品も光りにくいものばかりで、それは、蓄光顔料がものすごく高く1㎏15万円ほどしたぐらいですからね、簡単には不具合なども出せず、どの会社も苦労していました。

【二度目の窮地】

その後平成20年にあのリーマンショックがやってきて、自動車部品の選別事業に軸足を置き過ぎていたので、自動車を買わない=作らない=選別作業も激減と最悪の状態となってしまいその時の従業員が300名ほどいたのだがその給与も今ある資材や資産をすべて売却し軽自動車だけ残したものの、平成21年2月3月あたりで本当に奈落の底まで落ち込んで、自殺までも考えましたね。保険金で何とか支払いができると思ったのでね。でもその時ちょうど後厄の時だったかな。

でもね、JC時代から今までの体験があったからこそゼロからの出発と思ってもう一度這い上がってみようと思い、近所の印刷屋さんから印刷機を借りて建築系の仕事なら何でもしますみたいな広告チラシを作り、リフォーム屋言わず営繕屋と称してお風呂のパッキンや雨漏りなど何でもしますという一からやり直していきました。
誠心誠意お客様と向き合いパッキン一枚1000円の仕事から100万円、1000万円の仕事につながっていきましたね。

例えば、地主さんから家屋の解体やその後の駐車場に変更等々、3年でそれなりの企業になりました。
そんな状況でも、蓄光製品の開発は続けていて、「非常誘導灯」製品として形になってきたので、ものづくり日本大賞に応募したら、内閣総理大臣賞を受賞することになり、またその受賞パーティーでは野田首相(当時)にCO2削減や災害時に役に立つので普及を提案。すると枝野経産大臣(当時)に是非福島県川内村にその工場を作ってほしいと言われ震災から1年ほど経っていたので、すぐに賞状もって、伊丹空港から福島に飛び、川内村役場に「こんな賞をもらったものですが」と尋ねて行ったら、村長が出てきてくださって、その場で即決したのだが、川内村は第一原発から20㎞ほどしか離れておらずはじめは、少し腰も引けましたが、風評被害であると知り、そのまま決行しました。

【三度目の窮地・ターニングポイント・繋がり】

そんな最中に、その有田焼の窯元が、いつも出資している金額よりも大きな金額を貸してほしいと連絡があったので、公証人役場で証書を巻き契約しお金を貸したところ、すぐに返済がストップし挙句には夜逃げし連絡が取れなくなり、また当時国との話が進んでしまっていて、これまた緊急事態に陥ってしまうことになったので、これじゃダメだと発起しまして、
その時いつもこの蓄光素材をどうにかしたいと、自分も建築屋で見て仕事を覚えた一人でしたから、有田焼を見様見真似で作ってみたのですが、素材(磁器の板)に蓄光顔料を塗って焼くと、熱による縮小率が違うので反ったりして使い物になるものが出来なかったのだが、あるとき、新製法を思いつきまして、全ての材料を混ぜ合せ、それを圧縮しつつ焼き上げたらどうなるかと(錠剤とかトローチとか薬品関係ではよく耳にした)そこで、薬品会社友人がおり、その方の力を借り、そういう薬品工業系の機械屋さんを紹介してもらうことになり、顔料自体混ぜ、それを圧縮して焼き上げれば商品となると確信し、今までとは全く違う製法を考え出し、自社の向かいの倉庫を借り、そこに圧縮機と電気釜4台を試作現場として毎回配合を変え試行錯誤しながら、毎日毎日碁石程度のものを焼き続けました。(数2.3万個)その結果、完成し量産用の機械も作成してもらったのだが、雇った人たちも始めての状態であったので、自分で教育なんとか販売までこぎつけたが、すぐに買い手はつかず、どうしようかと思ったがとにかく地道にしていった結果、不思議なことに元々、東京都との契約をしていた大塚オーミさんがこの部門から撤退することになり東京都メトロなどの仕事も自社がすることになりました。やはりこの蓄光製品は難しいのと、自分で開発し特許を取っているから勝手に真似できないから。

2年前に導入した商品も、一切クレームも出ず、割れもせず、発光も倍以上なのにも関らずコストは変わっていないと喜んでもらっています。

次に大阪メトロにも導入してもらえるように現在進行しています。

始めは門前払いでしたが先の地震や台風で大阪市長も考えて下さるようになって近い将来目にすると思います。

【発展・好転期】

最近の報道でもあった、タイの少年救出の件ですが、元々、タイにも法人があって、そこの責任者で現地法人の社長してくれている彼が、蓄光商品が役に立つと思い救出現場に持ち込んだことが、大きく報道されたというのが経緯でして、その彼は、昔に現地で事業していた時の通訳兼コーディネーターでそのことが縁で現在でも私の相方ですね。

自分の意志とは関係なく商品が前に出て行ったのはすごいことと思いますね。

【結び・自分の使命】

是非、ルナウェア(蓄光製品)の工場に見学に来てください。
色々案内します。

福島県の今の状況、震災から8年ほど経つが風評被害特に食物などかなり苦戦しています。

福島県産と書いているだけで買え控えされるのはとても残念ですから。

ルナウェアも大事ですが、復興も進めていかないと。

宿泊先も少ないので、福島に来てほしいと思い私が、作ったのが我逢人(ごほうじん)という施設があります。ぜひ来てください。

他に、川内村近辺の市などでアドバイザーを務めていたのですが、7月の再編時に副市長のお話を頂くが言葉濁しつつ色々な分野でのアドバイスできる方がと思っています。

まだまだ福島には飲食店も少なく自分で何とかしたいと思っていた矢先、タイ国営の石油公社からCafe Amazon(カフェ・アメィゾン)というタイ王国最大のコーヒーチェーン店との間でフランチャイズ契約を結び日本初出店をさせた。

今後は東京や大阪などにも出店を画策しています。

川内村のような田舎には、コーヒーだけ飲みに来るってことはしないので、食べ物も出した方がいいということで出さしてます。

【自社従業員への思い】

従業員には、注文的な考えはなく、主役は従業員で、特に福島の方々に活躍してもらいたいです。

僕たち経営人は黒子のように後ろに下がり表舞台に彼らを出していきたい。

純粋な気持ちだけでは復興は進まないのでそのためにビジネスとして黒子に徹して行くことです。

今後は、このルナウエアを足掛かりに自然災害対策の事業を進めていき一人でも多くの方々を救っていきたいのが目標ですね。

【結び・次世代の方々へのアドバイス】

振り返ると、JC時代のあの時の経験と、素晴らしい仲間に出会ったことが、今の自分を作っていると思います。

若い方々には是非とも「あきらめずやり続けると必ず道は開けます」

失敗も成功への道のりですね。ヤケドもしないとだめですね。

 

岩本社長ありがとうございました。

素晴らしいお話を頂けました。

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